回転一枝

初めて日暮里に来た時、東口にある馬に乗って弓を引いている武将の像と近くにある女性の像に興味を持ちました。石碑を見てみたら、太田道灌の像と紅皿という女性の像でした。

像の横には、道灌の「山吹の一枝」の故事にちなんで、それを契機に文の道に目覚め同道灌が、まさに「回天」の勢いで分の道を極めたことを表現しようと「回天一枝」という作品名を、作者の橋本活道と鈴木俊一元都知事がこの太田道灌騎馬像に命名いたしました“という石碑が立っていました。

山吹の一枝とは、“鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、蓑を借りようと声をかけると、一人の娘(紅皿)が出てきて、黙って一枝の山吹を捧げた。

「七重八重花は咲けども山吹の

実の一つだになきぞ悲しき」

(後拾遺和歌集・兼明親王)

 「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から「山吹」の意を告げられる。娘(紅皿)が古歌に託して「実の」に「蓑」をかけ「お貸しできる蓑もございません」と詫びていたことを知った道灌は、和歌の道に精進するようになったと言われている。“という伝説です。

山吹の一枝伝説の舞台の一つが荒川だという説があるので、平成元年12月に東京荒川ライオンズクラブ寄贈により、この太田道灌像が設置されたみたいです。

太田道灌とは、室町時代中期の文武両道の武将で、徳川家康よりも前に江戸城を築城したことで知られています。関東管領の山内上杉氏の分家、扇谷上杉定正に仕え、数々の戦において活躍しました。また歌道に通じてさまざまな和歌を残しました。しかしながら、道灌は家中において影響力を拡大し、道灌状において自分は正当に評価されてないと不満を述べていたので、下克上を恐れた主君の上杉定正によって1486年に暗殺されました。

太田道灌が紅皿に出会って和歌に精進したように、人間どんな出会いがあってどのような影響を受けるか分からないものですね。